複葉機道楽 -Love Biplane-

世界各国の複葉機を、1/72スケールのプラモデルコレクションを通じてご紹介します。

 

飛行艇の変遷 

1/72のプラモデルで見る飛行艇の歴史は、1903年にライト兄弟が世界初の動力飛行に成功してから10年もたたない1912年、カーチス1912モデル F飛行艇が登場し、今日も現役で活躍している新明和US-2まで約58機種の飛行艇が確認できます。

そこでまず、飛行艇の定義をします。飛行艇(fling boat)とは、水面発着出来る機体のうち、胴体部分が水面に接するように設計された飛行機です。日本工業規格(JIS) では「水上にあるとき、主に艇体によってその重量を支持する水上機」と定義しています。この点で「フロートによってその重量を支持する」フロート水上機と区別されます。海面や湖面という平らで広大な水面を利用して発着できる飛行艇は、滑走路などの大規模な飛行場設備が必要無く、また洋上を長距離飛行する場合、万が一の故障に際してもとりあえず着水しての対処が可能でした。

1912年アメリカのグレン・カーチス1912モデルF飛行艇に続き1914年オーストリアのローナーL飛行艇が複座の偵察機として活躍、1918年イタリアでマッキM.5が登場しました。

グレン・カーチス1912モデルF飛行艇
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ローナーL飛行艇
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マッキM.5(参考写真)
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1917年にイギリス海軍のフェリークストー試作工場で大型双発複葉飛行艇フェリークストーF.2Aが製作されました。
1922年の第6回シュナイダー・トロフィー・レースにイギリスのシーライオンII飛行艇が高速水上機の中で見事に優勝しました。
1920年代、第一次世界大戦が終わった頃、海外旅行が盛んになり、もっとも安全で効率の良い航空輸送機関は飛行船と考えられていました。しかし、1937年、ドイツから飛来したツェッペリン飛行船がニュージャーシー州レークハーストに着陸する直前に突然、火を吹きだし大勢の出迎えの人の前で大事故をおこし、飛行船時代の終わりを告げました。

フェリークストーF.2A
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シーライオンII飛行艇
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1929年ドルニエDoXがドイツで製作され乗客169人を乗せてニューヨークまで飛行しました。全長40m、翼の幅が48mで、12基のエンジンを搭載した三層構造の胴体で、500mまでの上昇が限度で飛行を行いました。

ドルニエDoX
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1930年は、飛行艇の黄金時代でした。その理由は、大型機を滑走路で運用する際の着陸の衝撃に耐えうる強度の降着装置(脚、緩衝装置、タイヤ)が製造できなかったことと、機体の大型化に複数の降着装置で対応する発想なかったことです。飛行艇であれば、着水時の衝撃は機体底部の全面で受け止めることができ、降着装置の未発達を補うことができました。
1934年パンアメリカン航空は、南米路線にシコルスキS-42、太平洋路線にマーチンM130大西洋路線にボーイング314といういずれも4発の大型飛行船を就航させ、豪華で快適な空の旅を提供しました。
1936年にイギリスはショート・エンパイア飛行艇を使用し、本国からエジプトを経由してアフリカやインド、香港までの路線を開設しました。

シコルスキS-42
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マーチンM.130
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ボーイング314
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ショート・エンパイア飛行艇(参考写真)
ダウンロード

1936年アメリカ海軍のカタリナ飛行艇は性能面で問題がありましたが運用面で成功し、連合軍機として英米海軍で太平洋・大西洋その他の海域で、哨戒、救助活動に活躍しました。
1938年日本でも九七式飛行艇を民間に転用して、サイパン島などへの空路に使用しました。
1942年には川西二式飛行艇が活躍しました。
1967年大型飛行艇PS-1は対潜哨戒機としての使命は終了したが、救命飛行艇US-1は、小笠原諸島など飛行場が無く、ヘリコプターでは遠すぎる島への唯一の緊急輸送手段として有効に活用されています。
1967年消防飛行艇CL-415は、カナダの大規模な森林火災消火用に点在している湖沼を利用して消火に活躍しています。

カタリナ飛行艇(参考写真)
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川西二式飛行艇(参考写真)
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救命飛行艇US-1
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消防飛行艇CL-415
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黎明期の飛行機 

1903年アメリカのライト兄弟が空を飛ぶことに成功しました。「鳥のように自由に空を飛びたい」という人類の長い間の夢が実現されました。現在2016年今から113年前の事です。

そこで1/72のプラモデルを通して黎明期の飛行機を検証してみました。
ライト兄弟の成功に刺激を受け、飛行船の研究を重点にしていたヨーロッパでも1906年ブラジル生まれのサントス・デュポンが飛行機の飛行に成功。さらにフランスのブレリオ1909年、ウォアザン・ファルマン1908年、カーチス・ゴールデン・フライヤー1909年、アントワネット1909年、ドベルデュサン1910年、少し遅れてロシアのシスコスキー1913年、イタリアのカプロニ1916年など飛行機時代が到来しました。「より高く、より速く、より遠く」を目標に世界中で挑戦が続けられ、約100年で、安心して世界中を旅行できる飛行機社会が出来上がりました。

■1/72のプラモデルで再現してみました。

1903年 ライト・フライヤー/アメリカ
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 1903年12月17日午前10時35分、世界初の動力による飛行がライト兄弟によりノースカロライナ州キティー・ホー クの町から南に6.4Km行ったキル・デビルズ・ヒルで成功しました。最初の飛行は、12秒間、36.58mでしたが、飛行の姿をカメラに収め5人の証人によって世界初の飛行が公認されました。

1906年 サントス・デュモン/フランス
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アメリカのライト兄弟に遅れること3年、1906年10月22日にエンテ型の動力機「14-bis」号の公開実験で高さ3m、距離約60mを飛行しました。11月12日再び公開で高さ6m、距離220mを飛行し、100m以上の飛行にかけられていたアルシュデック賞(アルクデアコン賞)を獲得しました。これはヨーロッパにおける最初の飛行機の飛行でした。

1907年 ウォアザン・ファルマン/フランス
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ヨーロッパにおいてライト・フライヤーに続き、成功作になったのがこのヴォアザン・ファルマンIで、ガブリエルとシャル ルのヴォアザン兄弟の手により製作されました。兄弟は、ヨーロッパで最も古くから飛行機の研究を行っていましたが、基礎研究に時間をかけたためヨーロッパ での初飛行という栄誉をサントス・デュモンにさらわれてしまいました。しかし初飛行後あまり評価されることのなかったサントス・デュモン機に比べて、この ヴォアザン機は、数度の改良が行われてヨーロッパ初の実用機として高く評価されることになりました。

1808年 ブレリオXI/フランス
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初めて英仏海峡を横断した機体として知られており、そのスタイルも非常に近代的なもので、それまでのブレリオが設計した機体と比べると格段の差が認められます。この成功によってそれまで無名であった設計者兼パイロットのブレリオの名を一躍有名にしました。

1909年 アンリ・ファルマン/フランス
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本機は、フランスで製作された推進式の複葉機。1909年(明治42年)にアンリ・ファルマンにより設計・製作され、第一次大戦前の世界各国で広く導入されました。日本では、購入された同型の1機がアンリ・ファルマン機などの通称で知られ、この機体は1910年(明治43年)12月に行われた日本初の試験飛行に使用された機体のひとつです。
  
1909年 カーチス・ゴールデン・フライヤー/アメリカ
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初めて英仏海峡を横断した機体として知られており、そのスタイルも非常に近代的なもので、それまでのブレリオが設計した機体と比べると格段の差が認められます。この成功によってそれまで無名であった設計者兼パイロットのブレリオの名を一躍有名にしました。    

1909年 アントワネットVII/フランス
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黎明期の航空機の中で最もエレガントなスタイルとして名高い本機は、英仏海峡横断飛行に成功したブレリオXIIとともに フランスを代表する機体としても知られています。イギリスの新聞社主、ローンズレー卿の娘の名を採ったアントワネット社は、1808年に機体の設計開始。 1910年高度1000m、速度77.6Km/hの世界新記録を樹立しました。   

1909年 ロー三葉機/イギリス
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イギリス人が設計し、イギリス製のエンジンを備えて飛行をした初めての機体として知られる本機は、パイロットでもあるア リオット・バートン・ローが設計したもので、イギリスの航空黎明期における成功作でした。そのスタイルは、主翼・尾翼とも三葉の機体でそのままの形で発展 することはありませんでした。  

1910年 デ・ハビランドNo.1/イギリス
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数多くの傑作機を生み出した、シェフリー・デ・ハビランドが初めて設計した機体であり、1910年初頭に完成しました。初飛行は、飛行というよりわずか40mをジャンプしたのに過ぎず、安定性を失い墜落しました。

1910年 エトリッヒ・タウベ/オーストリア
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オーストリアのイゴー・エトリッヒが植物の種子が空を舞う様子を見てその形態を生み出した無尾翼グライダーから発展した 初期の傑作機。主翼が鳩に似ていることからタウベ(ドイツ語で鳩の意)の名が付けられました。オーストリア陸軍は、20機を発注し翌年1911年にはドイ ツのルンプラー社がライセンス生産権を得てドイツでの生産に入ったが、ルンプラー社がライセンス料を支払わなかったことに怒ったエトリッヒは、設計を公開 しそのメーカーが制作してもよいという姿勢を採りました。このためアルバトルスやゴーダ、L.V.G.など10社近くのドイツ航空機製造会社が競って生産を行いました。
   
1910年 ドベルデュサン/フランス
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アルマン・ドペルヂュサンは多彩な企業家で、1910年にドペルヂュサン飛行機製作会社を設立しました。機体の設計者は 30歳代のルイ・ベシャロウでした。新しい単葉機の製作を続け、数々の世界速度記録を打ち立てました。1912年2月22日には、シュナイダー・トロ フィー・レース162km/hを超える速度記録を達成しました。しかし、1913年ドペルヂュサンは不法行為で逮捕され、会社はブレリオが引き継ぎまし た。   

1913年 ルンプラータウベ3F/オーストリア
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オーストリア人イゴー・エトリッヒが設計した傑作機「エトリッヒ・タウベ」を模し、ルンプラー社が制作したタウベです。主翼は翼下面からトラス構造の鋼管で支えるという珍しい構造で、張線で支えた胴体と相まって安定性の高い機体となっています。極めて安定性の高い飛行機で、第一次世界大戦が始まると主にドイツ軍の偵察機として用いられましたが、運動性能は悪かったので1915年夏には前線から退きました。   

■飛ぶことに挑戦した人々

1840年ごろ スキージャンプ/ノルウェー
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ノルウェーの テレマーク地方が発祥の地とされています。スキーで遊んでいるうちに自然発生的に競技となったという説があります。 1860年代、初期の著名なジャンプ競技者は、テレマーク出身のノルトハイム (Nordheim) でした。現在は葛西紀明選手や"絶対女王"髙梨沙羅選手です。ジャンプを含むノルディックスキーがテレマーク地方を中心に発達してきたため、最も美しいとされ高得点に結びつく着地時の姿勢は、前述のように「テレマー ク姿勢」とよばれています。

1894年 オット・リリエンタール/ドイツ
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1848年5月23日生まれ、ドイツの初期航空工学(応用空気力学)発展に貢献した航空パイオニアの1人。およそ20年に及ぶ鳥の羽根による飛行を研究した上でジョージ・ケイリーによる考案のハンググライダーを実際に作り小高い丘から飛行する無数の試験を行い、その詳細な記録を採った事で知られています。リリエンタールが滑空する様子を撮影した写真が雑誌や新聞に掲載され、飛行する機械が実用化される可能性について科学界や一般大衆へ認知させつつ好意的な考え方をするようになる下地を作ると共にライト兄弟が歩む道を開いた先駆者の一人です。

1890年 オクターブ・シャヌート/アメリカ
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フランス系アメリカ人の土木建築(鉄道)技術者。航空技術のパイオニアでもあります。現代ではむしろ後者として有名。彼自身は動力を備えた飛行機を作らなかった(協力者のオーガスタス・ヘリングは作っている)が、1890年代にグライダーの実験で一定の成果を挙げ、他の研究者へ影響を与えました。ライト兄弟とも親交があった。

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ショート社の歴史 

ショート・ブラザーズ (Short Brothers plc) は、イギリスの航空機メーカーです。
現在、北アイルランドのベルファストに拠点を置きます。
現在は航空機の製造を止め、ボンバルディア・エアロスペースの傘下で、ナセル・システム、胴体とフライト・コントロールを設計、製造しています。
1908年に創立され、ショート・ブラザーズは世界で最初の生粋な航空機メーカーとなりました。
1920年代から1930年代にかけての間と第二次世界大戦を通して著名な飛行艇のメーカーでした。
戦後から間もない期間には、イギリス軍の依頼を受けていくつかの実験機を製作しました。
1963年代から、それまで主力になっていた飛行艇の製造から貨物輸送機の製造に切り替えました。
1989年に同社は、カナダのボンバルディアに買収されました。

■製造した航空機の中で1/72プラモデルのある機体を紹介

1915年 ショート タイプ 184   軍用飛行艇ショート184水上機
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本機は魚雷を積むには絶対的にアンダーパワーであり、雷装時には偵察員なしでも45分ぶんの燃料を積むのがやっとで、しかも高度460m以上には上がれ なかったという。よって実戦で雷装することはほとんどなく、小型爆弾による爆撃や偵察(ユトランド海戦での接敵成功が有名)を主な任務としました。

1914年 ショート タイプ 827
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ショート 827は、調査フロート水上機でした。
ショート827は1914年の夏、ショート166の少し小型にしたモデルとして開発されました。イギリス海軍からショート社が水上フロート型の機首の発注を受けました。東アフリカやメソポタミアの前線には、陸上使用の機体が使用されました。   

1915年 ショート タイプ 830
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本機は、135馬力(101kW)水冷式星形エンジンで動かされる 変形でした。

1917年 フェリックストウF.5
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本機はアメリカのカーチスH-12飛行艇から発展した機体で、正確にはH-12の艇体を改良したものです。日本をはじめとする各国に輸出され、特に日本海軍に輸出された機体は日本の飛行艇が発展する礎を築いた機体として非常に重要な存在です。   

1937年 ショート サンダーランド
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本機は、第二次世界大戦においてイギリス空軍で使用されたショート社製の飛行艇です。イギリス空軍初の単葉飛行艇で、1938年夏から部隊に配備されました。頑丈で信頼性の高い機体でしたが防御武装も強力で、敵からは「フライング・ポーキュパイン」(空飛ぶヤマアラシ)とあだ名されていました。第二次世界大戦中全期間において世界中のイギリス軍の拠点から救難、哨戒、爆撃の任務に従事しました。ドイツ海軍のUボートに最も怖れられていた兵器の1つでした。終戦後も哨戒、輸送任務で使用が続けられ、最後の機体が退役したのは、1959年5月でした。なお、民間型の「サンドリンガム」も作られ、1948年3月19日より英国海外航空のサンドリンガムが、プールから香港経由で、日本を占領していたイギリス連邦占領軍の拠点である岩国基地へ乗り入れていました。

1963年 ショート スカイパン
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本機は、イギリスのショート社が開発・製造した双発ターボプロップ汎用輸送機です。主に短距離旅客機や軍用輸送機として運用されました。スカイバンの開発が始まったのは1959年のことで、1960年から組み立てが開始され、初飛行に至ったのは1963年1月17日でした。当初はレシプロエンジンを搭載していたが、将来性を考慮してターボプロップエンジンに換装され、「スカイバン シリーズ1A」と命名されて同年10月2日に初飛行しました。スカイバンの胴体断面は最大限の搭載能力を持たせるために四角形であり、主翼は上翼構造で降着装置は固定式、水平安定板の両側に垂直尾翼を立てた構造です。これは短距離の小型輸送機という用途に特化したためです。非与圧式のキャビンは、旅客輸送仕様で19名の乗客を乗せることができ、後部にはヒンジ式のカーゴドアを備えていました

1976年 ショートC23Aシェルパ
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本機は、背の低いシェルパ族にちなんで建造された小型軍の輸送機です。C-23は貨物と人員輸送の軍の内部必要を満たしました。乗員20人または3枚のパレットを輸送するために提供しました。    

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サントスデュモン 14bis / Santos-Dumont 14bis 

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プラ板、プラ棒で機体を製作。細く伸ばしたプラ線を機体に貼り薄めたパテで質感を表現しています。直立した姿勢で操縦を行い、前方の翼を操作して飛行しました。
詳細はこちらから。

category: フランス機

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ボーイング社の歴史 

ボーイング社は、ウィリアム・E・ボーイングと技師ジョージ・コンラッド・ウエスターバレットによって1916年7月1日にシアトルにて設立され、彼らの頭文字から“M&B” と名付けられました。

第1号機は会社名と同じ"B&W" と命名された双発のフローと水上機でした。この会社名はすぐに“Pacific Aero Products” に変更され、1917年に会社名はボーイング航空機株式会社 (Boeing Airplane Company“)と改名されました。1917年当時第一次世界大戦を戦っていた海軍のパイロット養成用に双フロート複葉単発の練習機モデルCが採用され、約700機を生産し航空機メーカーとしての地位を築きました。

第一次世界大戦終了後、軍用機の需要は無くなりました。当時民間輸送も未発達であったため、アメリカでの主要な航空機需要は郵便事業でした。ボーイング社はモデルCの最終生産機C-700を使って、アメリカのシアトルとカナダのバンクーバーの間で、世界最初の国際航空郵便の輸送を始めました。輸送部門はBOEING AIR TRANSPORT社として事業を拡大していきましたが、使用機も双発のモデル40Aなど近代化されていきました。

1923年に陸軍に採用された戦闘機P-12は海軍にもF4B(2024)として採用され、シリーズ総計586機が納入されました。郵便機から発展した民間機分野では、1933年に画期的な旅客機ボーイング247(2044)(乗客10名)を開発しました。当時の飛行機は複葉帆布張り固定脚でしたが、247は全金属製・低翼・単葉・引き込み脚を採用し巡航速度300km/h以上を発揮し、アメリカの航空会社は競って導入しました。1929年にはエンジンメーカーブラット・アンド・ホイットニーなどと共に航空機の製造から運航までの全てを手がける巨大企業を設立しました。

しかし、タイプ247の天下は長く続かず、1935年に開発されたより大型・高速のダグラスDC-3(2356)に取って代わられました。また、1934年に独占禁止法の適用を受けたため、エンジン製造部門や航空輸送部門は分離され、それぞれがユナイテッド・テクノロジーズとユナイテッド航空となりました。1997年にマクドネル・ダグラス社を買収したため、現在アメリカで唯一の大型旅客機メーカーです。

■製造した航空機の中で1/72プラモデルのある機体を紹介

1925年 ボーイング40
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アメリカ合衆国郵政省の航空郵便輸送機として開発が進められていました。この機体は水冷式エンジンで、主な目的は郵便物を運ぶためではありましたが、乗客2人を収容する客室も備えていました。1925年7月20日に初飛行。  


1927年 ボーイングPT-13  
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ボーイング PT-13/17/18/27「カデット」は通称「ステアマン」として知られています。この通称はもともと本機が「ステアマン航空機」で開発されたあと ボーイングに合併された経緯からきたもので、ステアマンとは旧ステアマン社の社長ロイド・C・ステアマンの名前にちなんでいます。 ステアマンは頑丈で操縦しやすく癖のない機体として知られ、大戦中は陸海軍の主力初等練習機として数多くのパイロットを育てたほか、戦後に放出された機体は民間の飛行学校の教習機や農業機、趣味の軽飛行機として今日まで幅広い愛用者を持っています。


1931年 ボーイングF4B-4Uネイビー
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本機は、アメリカ合衆国のボーイング社がアメリカ海軍向けに開発した複葉の戦闘機です。1929年より艦上戦闘機として運用され、F3Fが配備されるまで主力戦闘機でした。当初は鋼管骨組みに羽布張りの胴体でしたが、後期の型から金属製モノコック構造の胴体となり、尾そりが尾輪に改めらました。この型は垂直尾翼が再設計された他、主翼下面に爆弾が搭載できるようになりました。


1932年 ボーイング247
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本機は、アメリカのボーイングが開発した1930年代の旅客機・輸送機です。初飛行は1933年2月。最初の近代的な輸送機の1機で、全金属構造、自動操縦装置、引き込み脚などの技術を採用しました。 それまでの旅客機フォード・トライモータやカーチス・コンドルよりも速い時間(8時間)で、アメリカ大陸を横断できた。76機が生産され、70機はユナイテッド航空で使われ、4機がルフトハンザ、2機が中華民国に輸出されました。座席数が少ないことから、商業的にはその後に現れたダグラス DC-2およびDC-3に市場を奪われました。裏話として、ボーイングが247の引渡しを系列であるユナイテッド航空に優先していたため、これを不満としたトランス・ワールド航空(TWA)が対抗機種の開発をダグラスに要請し、それがDC-1、-2、-3の開発につながったと言われます。10席の座席は通路の両側に5列にならんでいました。主翼の主桁は胴体下部を貫通し、それが床上に突き出ていたので、座席に着くのに主桁の突起をまたがなければならない乗客もいました。


1932年 ボーイングP-26A
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本機はボーイング社が開発し、1930年代のアメリカ陸軍航空隊が運用した戦闘機。アメリカ陸軍の制式戦闘機としては初めての全金属製、単葉の機体であるとともに、最後の固定脚、開放式コクピット、張線式主翼の機体でもあります。愛称は「ジュピター」。この愛称は豆鉄砲を意味し、パイロットたちによってつけられたものとされています。


1933年 ダグラスDC-2
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本機の開発は、1932年にTWAが全金属製単葉もしくは木金混合構造の単葉または複葉の3発旅客機の開発要求を出した ことに端を発しています。これに応じてダグラスは、双発の全金属製モノコック構造を採用した低翼単葉旅客機案をTWAに提出しました。当時の旅客機として は革新的な機体であり、アメリカの航空会社はむろんのことオランダのKLM、スイスのスイス航空などから発注を受け、日本でも5機が組み立てられ189機 を数え当時のベストセラーになりました。


1935年 ダグラスDC-3
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ダグラスDC-3は、アメリカ合衆国の航空機メーカーであるダグラス・エアクラフト社(現ボーイング社)が開発した双発 のプロペラ旅客機です。1936年運用開始。アメリカ軍用輸送機としての制式名称「C-47スカイトレイン」、イギリス軍用輸送機としての名称「ダコタ」 でも知られています。


1939年 ボーイング 314
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本機はボーイング社が開発した長距離旅客輸送用飛行艇で、12機が生産されました。レシプロエンジン4基を有するものの、巡航速度は290kmしか出ず、昼間飛行して夜間は洋上に停泊するという優雅な飛行艇です。第二次世界大戦が勃発するとC-98の名称でアメリカ陸軍航空軍に4機が挑発されました。


1942年 ダグラスDC-4
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1944年 ボーイングB-377
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ボーイング社ではB-29爆撃機を原型としてC-97ストラトフレイター輸送機が開発され、第二次世界大戦中の1944年に初飛行しています。ボーイング377はこのC-97を基に大型・長距離旅客機として開発されました。B-29から主翼や尾翼の設計は流用していますが胴体は拡大され、エンジンもB-50・C-97と同じプラット・アンド・ホイットニー R-4360エンジンに更新されています。大戦後の1947年7月8日に初飛行し、パンアメリカン航空のニューヨーク - ロンドン線に就航したほか、太平洋横断路線をはじめとする主要長距離路線に投入されました。


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